M-1グランプリ2025で優勝し、一気に注目を集めたお笑いコンビ・たくろうですが、「どんな経歴を歩んできたのか」「なぜ今このタイミングで評価されたのか」と気になっている方も多いのではないでしょうか。実はたくろうは、結成後すぐに結果を出したコンビではなく、決勝進出までに長い時間をかけ、劇場で舞台経験を積み重ねてきました。
この記事では、たくろうの基本プロフィールや結成の背景、下積み時代の歩み、賞レースでの評価の積み重ね、そしてM-1グランプリ2025優勝に至るまでの流れを、時系列で分かりやすく整理しています。
この記事を読むことで、たくろうが今評価されている理由や漫才スタイルの変化、優勝に結びついた考え方、そして今後に向けた本人たちの姿勢までが分かります。
1. たくろう 経歴|まず知っておきたい基本プロフィール
1-1 たくろうはどんなお笑いコンビ?
たくろうは、観客の反応を最優先にした漫才で評価を積み重ねてきたお笑いコンビです。
結論から言うと、「とにかく目の前のお客さんに笑ってもらう」姿勢を徹底してきた点が、大きな結果につながりました。
その理由は、本人たちの発言からもはっきりしています。
M-1優勝後の会見で、きむらバンドは「来てもらった人に笑っていただくという開き直りがあった」と語っていました。
派手な仕掛けや難解な構成よりも、会場の空気をつかむ笑いを選び続けた姿勢が特徴です。
実際、たくろうは大阪の劇場寄席を中心に、多くの舞台経験を重ねてきました。
テレビ向けの演出よりも、生の反応が返ってくる環境で漫才を磨いてきた点が、コンビの土台になっています。
この積み重ねが、後に大舞台で強さを発揮する理由になったと言えるでしょう。
1-2 結成年・所属事務所・メンバー構成
たくろうは、2016年3月9日に結成されたお笑いコンビです。
所属事務所は吉本興業で、関西を拠点に活動してきました。
まずは、基本情報を整理します。
コンビの基本データ
| 項目 | 内容 |
| コンビ名 | たくろう |
| 結成日 | 2016年3月9日 |
| 所属事務所 | 吉本興業 |
続いて、メンバーのプロフィールです。
メンバープロフィール
| 名前 | 生年月日 | 出身地 |
| 赤木裕 | 1991年10月24日 | 滋賀県大津市 |
| きむらバンド | 1990年1月28日 | 愛媛県松山市 |
2人ともNSC大阪校出身で、芸人としてのスタート時期も近い関係です。
舞台上では役割を固定しすぎず、ネタに応じた掛け合いを見せる点も、たくろうらしさの一つです。
2. たくろう 経歴|M-1グランプリ2025優勝までの道のり
2-1 M-1グランプリ2025で第21代王者に
結論から言うと、たくろうは2025年のM-1グランプリで優勝し、第21代王者となりました。
この事実は、優勝後に行われた記者会見でも正式に報じられています。
決勝当日、たくろうはファーストステージを2位で通過し、最終決戦へ進出しました。
最終決戦では3番目にネタを披露し、審査員9名中8票を獲得しています。
票が割れにくい結果だった点からも、完成度の高さと安定感が評価された様子が伝わります。
一発のインパクトだけではなく、総合力で勝ち取った優勝でした。
2-2 過去最多1万1521組から頂点に立つまで
2025年大会のエントリー数は、過去最多となる1万1521組でした。
この数字は、M-1の歴史の中でも特に厳しい大会だった点を示しています。
決勝に進めたのは、以下の10組のみです。
- ドンデコルテ
- エバース
- ヨネダ2000
- 豪快キャプテン
- ヤーレンズ
- 真空ジェシカ
- めぞん
- ママタルト
- たくろう
- カナメストーン(敗者復活)
この顔ぶれを見ると、実力派がそろっていた点がよく分かります。
その中で頂点に立った事実は、たくろうの漫才が幅広い層に届いた証明と言えるでしょう。
2-3 初決勝・初ファイナリストでの優勝という快挙
たくろうは、2025年大会が初めての決勝進出でした。
そして、初ファイナリストのまま優勝を果たしています。
2016年からM-1に挑戦し続けてきたものの、長い間、決勝の壁を越えられない時期が続いていました。
準決勝止まりの年や、準決勝にすら届かない年も経験しています。
それでも挑戦を続けた結果、初めて立った決勝の舞台で一気に頂点へ駆け上がりました。
この流れは、「積み上げてきた時間が無駄ではなかった」と感じさせる展開です。
3. たくろう 経歴|コンビ結成から下積み時代
3-1 2016年結成、赤木裕ときむらバンドの出会い
たくろうは、2016年に赤木裕ときむらバンドの2人で結成されました。
出会いのきっかけは、NSC大阪校でのつながりです。
結成当初から、話題先行型の売り出し方を狙っていたわけではありません。
劇場に立ち続け、漫才を磨く道を選んでいます。
この時期に重ねた舞台経験が、後の安定感につながりました。
3-2 決勝に届かなかった7年間と準決勝止まりの時期
結成後のたくろうは、早い段階で準決勝まで進んだ年もありました。
一方で、その後は決勝に届かない期間が長く続きます。
本人たちは会見で、「準決勝にも行けない状態が続いていた」と振り返っています。
活動の中心は、大阪のよしもと漫才劇場での寄席出番でした。
その中で2人がたどり着いた考えは明確です。
- カッコよさより、しっかりウケるネタを選ぶ
- 難しい構成より、分かりやすさを優先する
- 目の前の観客の反応を基準にネタを調整する
この方向転換が、M-1決勝で披露した2本のネタにもつながっています。
長い下積みを経験したからこそ、自分たちに合う戦い方を見極められたと言えるでしょう。
4. たくろう 経歴|賞レース実績と評価の積み重ね
4-1 NHK上方漫才コンテスト準優勝などの実績
たくろうは、M-1優勝以前から賞レースで着実に結果を残してきました。
結論として、決勝に届かない時期が続いても、評価が完全に途切れていたわけではありません。
代表的な実績が、2024年の「第54回NHK上方漫才コンテスト」での準優勝です。
この大会は関西の実力派漫才師が集まる場として知られており、名前が残るだけでも大きな意味を持ちます。
また、M-1グランプリには2016年から継続して挑戦してきました。
長い期間、決勝に進めない年が続いたものの、毎年大会に出場し続けていた点は見逃せません。
結果が出ない時期にも舞台経験を積み重ね、評価の土台を作ってきた点が、後の優勝につながっています。
4-2 「ウケを最優先」にたどり着いた漫才スタイル
たくろうの漫才スタイルは、試行錯誤の末にたどり着いた形です。
結論として、「とにかくウケる」を基準にネタを組み立てる方向へ明確に舵を切りました。
本人たちは会見で、
・かっこいい構成
・エッジの効いたボケ
を目指す時期もあったと振り返っています。
しかし、長く劇場に立ち続ける中で、「自分たちには合わない」と判断しました。
そこで選んだのが、観客の反応を最優先にするスタイルです。
大阪のよしもと漫才劇場で寄席出番を重ねる中で、この考え方が定着しました。
この積み重ねが、賞レースでも安定した結果を出せる形につながっています。
5. たくろう 経歴|M-1決勝ネタと優勝の決め手
5-1 1本目を信じ続けた戦略
M-1グランプリ2025での戦い方には、たくろうの覚悟が表れていました。
結論から言うと、1本目のネタを信じ切った判断が大きなポイントです。
3回戦、準々決勝、準決勝と、同じネタを使い続けて勝ち上がっています。
きむらバンドは、「楽しくやれそうな自信があった」と振り返っていました。
ネタを変えずに進む選択は、常にリスクを伴います。
それでも手応えを優先した姿勢が、ファーストステージ2位通過につながりました。
5-2 2本目のネタ選択と本番の手応え
最終決戦の2本目については、最後まで迷いがあったと明かしています。
同期芸人から、過去に実績のあるネタを勧められた場面もありました。
最終的に選んだのは、別のネタです。
結果として、会場の反応は非常に良く、本人たちも後から映像を見て手応えを感じたと語っています。
状況に流されず、自分たちの感覚を信じた判断が、結果に結びつきました。
5-3 審査員8票を集めた最終決戦の結果
最終決戦では、ドンデコルテ、エバースとの戦いになりました。
たくろうは3番目にネタを披露し、審査員9名中8名から票を集めています。
この数字は、評価が一部に偏らず、広く支持された点を示しています。
勢いだけではなく、完成度と安定感が評価された結果と言えるでしょう。
6. たくろう 経歴|優勝後の心境とこれから
6-1 優勝直後の率直なコメント
優勝直後の記者会見では、2人とも現実感のなさを率直に語っていました。
きむらバンドは、「王者と呼ばれる感覚がまだしっくり来ない」とコメントしています。
赤木裕も、「現実味がなさすぎる」と話し、会場を和ませる場面がありました。
長い下積みを経て訪れた結果だった点が、言葉の端々から伝わります。
6-2 東京進出はどうする?本人たちの本音
今後について注目されているのが、東京進出の可能性です。
結論として、現時点で明確な決定は出ていません。
赤木裕は、「今行かなければいつ行くのかという感覚もある」と語っています。
一方で、きむらバンドは「同期の意見も聞きたい」「大人と相談する」と慎重な姿勢を示しました。会見では、大阪のよしもと漫才劇場での活動が中心だった点にも触れています。
これまで積み上げてきた環境を大切にしながら、次の一手を考えている段階と言えそうです。



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