映画『Man』で宇野祥平さんと主演を務め、大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも出演している俳優・萩原護(はぎわら・まもる)さん。
現在の公式プロフィールには「特技:ダンス」と記載されていますが、実は趣味程度の経験ではありません。
小学3年生からヒップホップダンスに打ち込み、本人によると小学6年生のときには「ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST」で全国3位を経験しています。
芸能界入りも、ダンスコンテストで踊っていたところをスカウトされたことがきっかけでした。
この記事では、萩原護さんのダンス歴や全国大会での実績、ダンスをやめた理由、俳優活動とのつながりを紹介します。
1.萩原護はダンス経験者!小学6年生で全国3位
萩原護さんは、小学3年生から小学校を卒業するまでヒップホップダンスに打ち込んでいました。
所属事務所のスターダストプロモーションも、現在の公式プロフィールでダンスを特技として掲載しています。
本人がインタビューで明かしているダンス歴を整理すると、次の通りです。
- 小学3年生でヒップホップダンスを始める
- 小学生時代はダンス中心の生活を送る
- 小学5年生でダンスコンテストをきっかけにスカウトされる
- 小学6年生で「ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST」全国3位
- 小学校卒業を区切りにダンスをやめる
- 中学生から俳優の仕事へ本格的に取り組む
現在は俳優として知られる萩原さんですが、芸能界へ入る前から本格的にダンスへ取り組んでいました。
2.小学3年生からヒップホップダンスを始めた
萩原護さんがダンスを始めたのは、小学3年生のころです。
本人によると、小さいころから家で踊ることが好きだったため、両親がダンススクールへ通わせてくれたことが始まりでした。
ジャンルはヒップホップです。
2025年のインタビューでは、当時はクランプを織り交ぜたヒップホップに取り組んでいたことも明かしています。
萩原さんはクランプについて、怒りなどの感情を表現するダンスだと説明しており、当時は感情を身体に出すような表現に取り組んでいたそうです。
2-1.10キロ走と筋トレにも取り組んでいた
小学生時代の練習は、踊るだけではありませんでした。
萩原さんが通っていたスクールの先生は体力を重視しており、ダンスレッスンに加えて10キロを走り、筋力トレーニングにも取り組む日々だったと本人が語っています。
当時の萩原さんはダンス以外にあまり興味がなく、コンテストで結果を出すことを目標に練習を続けていました。
具体的なスクール名については、本人や所属事務所から公表されていません。
3.「ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST」で全国3位
萩原護さんが特に目標としていた大会が「ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST」です。
萩原さんは本人インタビューで、小学6年生のときに同大会で全国3位になったと明かしています。
当時はチームで出場していました。
本人によると、全国大会の会場はTOKYO DOME CITY HALLだったそうです。
ただし、萩原さんが所属していたダンスチーム名については、本人や所属事務所の公式情報で確認できませんでした。
そのため、ネット上の情報からチーム名を推測して断定することはできません。
4.全国3位を区切りにダンスをやめた
全国3位という結果を残した萩原護さんですが、その後も競技ダンスを続けたわけではありません。
小学6年生で全国3位になったことで、本人の中に「やりきった」という感覚が生まれたそうです。
中学生になってからも続けることはできましたが、周囲でダンスに打ち込む人たちを見て、自分は同じ熱量では続けられないと感じたことも語っています。
そこで、小学校卒業を区切りにダンス中心の生活から離れました。
全国3位をきっかけにプロのダンサーを目指したのではなく、目標としていた大会で結果を残したことで、一度ダンスに区切りをつけています。
5.芸能界入りのきっかけもダンスコンテスト
萩原護さんが芸能界へ入るきっかけも、ダンスでした。
小学5年生のころ、屋外のダンスコンテストへ出場して踊っていたところ、スターダストプロモーションの関係者から声をかけられています。
萩原さんは2025年のインタビューで、当時の事務所関係者が「踊れる子」を探していたことを明かしています。
所属事務所によるインタビューでも、「ダンスコンテストに出場して踊っていたところをスカウトされた」と本人が説明しています。
5-1.スカウト当時は芸能界に興味がなかった
スカウトされたからといって、すぐに俳優を目指したわけではありません。
萩原さんは当時、芸能界そのものにほとんど興味がなく、頭の中はダンスのことでいっぱいだったと振り返っています。
2024年のインタビューでは、スカウトされた際も最初は乗り気ではなく、家族から事務所に入ることを勧められたと話しています。
小学5年生でスターダストプロモーションに所属したものの、小学生の間に参加した芝居のレッスンは数回程度だったそうです。
当時の中心は、あくまでダンスでした。
6.ダンスをやめた後に映画と芝居へ
小学校卒業とともにダンスをやめた萩原護さんは、中学生になると映画を見ることに熱中するようになりました。
部活動には入らず、休日には一人で複数の映画館を回ることもあったといいます。
映画を見る機会が増える一方で、所属していた事務所ではオーディションを受けるようになり、芝居にも本格的に取り組み始めました。
萩原さん自身が最初の演技経験として挙げているのが、2015年のスキマスイッチ「LINE」のミュージックビデオです。
所属事務所の公式プロフィールにも同作への出演が掲載されています。
ダンスをやめた直後から俳優一本に決めていたわけではなく、中学生になって映画や撮影の面白さに触れながら、少しずつ芝居へ進んでいったことが分かります。
7.本人はダンスと芝居を「地続き」と表現
萩原護さんは、ダンス経験と芝居の関係について自ら語っています。
2025年のインタビューでは、芝居を始めたころについて、ダンスをしていたときと「地続き」のような感覚があったと振り返っています。
萩原さんにとってダンスは、自分の身体を使って表現するものです。
クランプを取り入れたヒップホップで感情を身体に出す経験をしていたため、芝居を始めた当初も、身体を使って表現するという点ではつながった感覚があったそうです。
これは「ダンス経験があるから演技が上手い」という第三者による推測ではありません。
萩原さん本人が、ダンスから芝居へ移った当時の感覚として語っている内容です。
8.ポカリスエットCMでもダンスを披露
俳優活動を始めた後にも、萩原護さんのダンス経験が分かる出演作があります。
2019年、大塚製薬「ポカリスエット」のCM「ポカリ青ダンス 魂の叫び」篇と「青ダンス 雨のち晴れ」篇に出演しました。
「魂の叫び」篇では、茅島みずきさん、Miriさんとともに中心となる出演者の一人として登場しています。
クライマックスでは、総勢760人による「青ダンス」に参加しました。
当時15歳だった萩原さんが出演していたことは、所属事務所の公式プロフィールと当時の報道で確認できます。
小学校卒業時にコンテスト中心のダンス生活からは離れましたが、その後も仕事の中でダンスを披露する機会がありました。
現在の公式プロフィールでも、特技は引き続き「ダンス」とされています。
9.現在は俳優として映画・ドラマに出演
2026年現在、萩原護さんの活動の中心は俳優です。
2026年9月公開の映画『Man』では宇野祥平さんと主演を務め、大河ドラマ『豊臣兄弟!』には小堀正次役で出演しています。
これまでにも『青天を衝け』『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』『君が心をくれたから』『新宿野戦病院』『ホットスポット』『未来のムスコ』などに出演してきました。
ダンサーとして活動を続けているという公式情報は確認できませんが、公式プロフィールには現在も「特技:ダンス」と記載されています。
小学5年生でのスカウトから現在までの経歴や主な出演作については、プロフィール記事で詳しく紹介しています。
10.まとめ
萩原護さんのダンス歴について紹介しました。
確認できるポイントをまとめると、
- 小学3年生からヒップホップダンスを始めた
- クランプを取り入れたヒップホップにも取り組んでいた
- 10キロ走や筋トレを含む練習を続けていた
- 小学6年生で「ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST」全国3位を経験
- 小学5年生のダンスコンテストでスカウトされた
- 全国3位を区切りに小学校卒業時にダンスをやめた
- 中学生から芝居へ本格的に取り組んだ
- 2019年のポカリスエットCMで「青ダンス」を披露した
- 現在も公式プロフィールではダンスが特技になっている
という経歴です。
萩原さんは俳優を目指してダンスを始めたわけではありません。
しかし、小学生時代に打ち込んだダンスが芸能事務所へ所属する直接のきっかけとなり、その後の俳優活動へつながりました。
本人は芝居を始めた当時についても、身体で感情を表現していたダンスと「地続き」のような感覚があったと振り返っています。
現在は俳優を中心に活動していますが、小学生時代のダンス経験は、萩原護さんの芸能活動の原点の一つといえます。


